自民党の尾辻参院議員会長は30日午前の参院代表質問で、政府の規制改革会議と経済財政諮問会議の廃止を主張した。
麻生首相はこれに応じなかったが、構造改革路線を主導した両会議の廃止と、全面的な路線転換を与党幹部が国会で訴えたのは異例だ。
尾辻氏は、現在の深刻な雇用不安の原因は、民間の企業経営者をトップとする規制改革会議が派遣労働の対象業種の拡大を要求したことにあると指摘し、「少なくとも結果の責任を取らねばならない」と強調。経済財政諮問会議も「市場原理主義を唱えたが、それが間違いだったことは今回の世界の不況が証明した。その責任は重い」とし、両会議の廃止を求めた。
これに対し、首相は、尾辻氏が指摘した両会議の具体的な問題点には一切触れず、「(両会議は)大きな貢献を果たしてきた。今後とも経済が直面する課題の克服に向け、精力的な調査・審議を行ってもらう」と理解を求めた。
1年が早い。志位和夫・共産党委員長が衆院予算委員会で派遣労働者差別、雇用格差を追及、インターネット「2ちゃんねる」をはじめ若者から好意的な反響を受けたのは2月8日のこと、首相は福田康夫氏だった。9月に表面化した米金融危機があっという間に世界に広がり、「100年に一度」の不況が日本列島を襲い始めた。このままでは家と職を失ったまま越年する非正規労働者は相当数に上るという。志位氏が追及した時より、状況はさらに悪化している。
志位質問を思い出させてくれたのが「労働者派遣法を抜本的に見直すことも緊急の課題だ」と書いた毎日社説(19日)だった。
民主、社民、国民新の野党3党が共同提出した雇用対策関連法案が参院厚生労働委員会で可決されたが、与党の反対で成立の見通しが立たない現状について「野党3党案は与党案と重複した内容もある」「直ちに議論を始め、法案の成立を図ってもらいたい。生活ができないという失業者への生活支援金貸与や住宅対策はすぐにでも行うべきだ。雇用対策を来年の通常国会に先送りにしてはならない」と法案の年内成立を求めた。
この問題は朝日が17日に「法案に修正すべき点があるならば手直しして、会期末までに成立させるべきだ。政治は苦しむ国民を放置してはいけない」と書き、20日にも「大事なのは対策を実行に移すスピードであり、職を失った人々に早く手当てが届くことだ」と政府・与党の第2次補正先送り姿勢を批判していた。
◇産経は民主党批判
日経も19日「非正規労働者の失業保険の受給要件緩和や、再就職が困難な人への給付日数の延長など、与野党ともに必要と認め、かつ急がれる政策については今国会の会期内に審議を進められないものだろうか。国民の目線に立ちあらゆる可能性を探る必要がある」と求め、東京も「首相に決断を求めたい。評判の悪い定額給付金などを盛り込んだ二次補正のうち、雇用対策部分を取り出して今国会に提出することはできないものか。……与野党が雇用部分を速やかに処理する。それが政治の信頼回復への一歩である」と提案した。
一方、産経は20日「より責めを負うべきは、政府の対応の遅れを浮き彫りにするねらいで法案を提出した民主党などだ。思惑を優先させ、話し合いを無視する民主党の対応は、共産党ですら批判している」と民主党批判に終始したが、小沢一郎・民主党代表からの党首会談呼びかけを麻生太郎首相が断ったことには触れずじまい。「与野党協議でより効果的な雇用対策の具体案をまとめることこそ、国会の責務ではないのか」とはいうものの他紙とニュアンスが違う。
毎日の19日社説は一歩踏み込んで「ハケン切り」の「元凶」である労働者派遣法の抜本見直しを求めた。
「派遣法改正によって、04年に製造業派遣が解禁されて以降、もの作りの現場で正社員から派遣への切り替えが進んだ。しかし、不況となれば非正規社員は真っ先に解約され、ポイと捨てられた。非正規社員は『使い捨て』労働者だったことが、だれの目にも明らかになった」「製造業派遣の禁止や登録型派遣の是非をも含めて、派遣法を全面的に見直す時がきている」と提言したのだ。
実は政府・自民党や財界でも雇用の規制緩和を見直す動きが始まっている。小泉純一郎首相時代の04年、労働者派遣法が改正され、製造業の派遣が解禁された。しかし、07年1月には安倍晋三首相が財界が求めた「ホワイトカラー・エグゼンプション(残業代ゼロ)」導入の労働基準法改正を非難の嵐の中で断念した。経済財政諮問会議や政府の規制改革会議がもくろんだ一層の労働規制緩和は抑え込まれた。逆に厚労省主導で最低賃金引き上げが行われるなど、労働規制緩和から強化へと「06年に潮目が変わった」(五十嵐仁・法政大学教授「労働再規制-反転の構図を読みとく」)という。
◇労使で「非正規」支援を
日本経団連は昨年、賃上げ容認に転じたが、16日まとめた来年の春闘方針ではベア要求に答えなかった。雇用は「安定に努力」としたものの、具体策はなかった。労働分配率が6年連続で低下した中、連合は昨年の日本経団連の方針転換を受けて8年ぶりのベースアップ要求を目玉にしたが、深まる不況で「非正規社員は解雇し正社員だけ賃上げという構図に、違和感を覚える人も多いだろう」(読売)という国民感情も根強い。
株式数比例配分方式
Thu 22 Jan’09
株券ってもう電子化されたんでしょ? 特に変化を感じないなぁ…。1月5日に電子化制度がスタートしてから、特にトラブルもなく順調なようだね。通常の株取引では電子化された実感はわかないかもね。でもさっそく、電子化に伴う便利なサービスも登場し始めているよ。なになに? 教えて!配当金の受け取り方法が増えて、選択できるようになったんだ。早速、証券会社でも申し込みの受け付けを開始しているよ。
配当金の受け取り方法?今までは、銘柄ごとに発行会社から郵送されてくる「郵便振替支払通知書」または「配当金領収書」を、郵便局や銀行の窓口に持っていって現金と引き換えていたでしょ?うん。でも本人確認も必要で受取期限もあるし、結構面倒なんだよね…。その通り。もう1つの方法としては、振込先の口座番号を記入した配当金振込指定書を提出して、預金口座に振り込んでもらう制度もあったけど、銘柄ごとに提出しなくてはいけない。だから、少ない銘柄数を長期保有するようなケース以外では、便利とはいえずなかなか利用しづらかった。
新しい方法はどんなの?基本的には、以下の2つが新しく加わったんだ。従来の方式も残っているけど、証券会社によっては選べる方式が異なる場合もあるので注意しておこう。
株式数比例配分方式というのは?株式数比例配分方式は、配当金を証券口座で受け取る方法なんだ。証券口座の預かり金やMRF(マネー・リザーブ・ファンド)に自動入金されることになる。配当金をそのまま再投資するには便利だね。現金で配当を受け取ると、再投資に回そうと思っていてもついつい使ってしまうこともあるしね。証券口座に入金されるのは便利だね。さらに、同じ銘柄を複数の証券会社で保有していたとしても、保有株数に応じてそれぞれの証券口座に入金されるんだ。だから、「株式数比例配分」というわけだね。次の登録配当金受領口座方式は?これは、指定する銀行などの預金口座に振り込んでもらう方法なんだ。従来と違うのは、各銘柄ごとに振込先を提出するのではなく、証券会社を通じてこの方式を選択してしまえば、保有する全ての銘柄について指定した口座に振り込まれるんだ。これも便利そうだね!配当金は再投資にはまわさず、ボーナスやお小遣いのようにしている人には向いているね。この方法を選択してしまえば、証券会社が複数あろうがなかろうが、全ての銘柄の配当金が指定した1つの口座に振り込まれるのでとても便利だね。ボクは2つの証券会社を使っているんだけど、それぞれ別の方法を選べるの?1つの証券会社で選択すれば、ほふり(証券保管振替機構)を通じて別の証券会社に受領方式が通知されるんだ。だから2つの方式を別々に選ぶということは原則できないよ。迷うなぁ…。今すぐ決める必要もないし、そんなに焦ることないよ。変更手続きをしなければ、従来どおり現金などで受け取れるわけだしね。まずは自分が使っている証券会社の対応状況を確認してみよう。
配当金の受け取り方法?今までは、銘柄ごとに発行会社から郵送されてくる「郵便振替支払通知書」または「配当金領収書」を、郵便局や銀行の窓口に持っていって現金と引き換えていたでしょ?うん。でも本人確認も必要で受取期限もあるし、結構面倒なんだよね…。その通り。もう1つの方法としては、振込先の口座番号を記入した配当金振込指定書を提出して、預金口座に振り込んでもらう制度もあったけど、銘柄ごとに提出しなくてはいけない。だから、少ない銘柄数を長期保有するようなケース以外では、便利とはいえずなかなか利用しづらかった。
新しい方法はどんなの?基本的には、以下の2つが新しく加わったんだ。従来の方式も残っているけど、証券会社によっては選べる方式が異なる場合もあるので注意しておこう。
株式数比例配分方式というのは?株式数比例配分方式は、配当金を証券口座で受け取る方法なんだ。証券口座の預かり金やMRF(マネー・リザーブ・ファンド)に自動入金されることになる。配当金をそのまま再投資するには便利だね。現金で配当を受け取ると、再投資に回そうと思っていてもついつい使ってしまうこともあるしね。証券口座に入金されるのは便利だね。さらに、同じ銘柄を複数の証券会社で保有していたとしても、保有株数に応じてそれぞれの証券口座に入金されるんだ。だから、「株式数比例配分」というわけだね。次の登録配当金受領口座方式は?これは、指定する銀行などの預金口座に振り込んでもらう方法なんだ。従来と違うのは、各銘柄ごとに振込先を提出するのではなく、証券会社を通じてこの方式を選択してしまえば、保有する全ての銘柄について指定した口座に振り込まれるんだ。これも便利そうだね!配当金は再投資にはまわさず、ボーナスやお小遣いのようにしている人には向いているね。この方法を選択してしまえば、証券会社が複数あろうがなかろうが、全ての銘柄の配当金が指定した1つの口座に振り込まれるのでとても便利だね。ボクは2つの証券会社を使っているんだけど、それぞれ別の方法を選べるの?1つの証券会社で選択すれば、ほふり(証券保管振替機構)を通じて別の証券会社に受領方式が通知されるんだ。だから2つの方式を別々に選ぶということは原則できないよ。迷うなぁ…。今すぐ決める必要もないし、そんなに焦ることないよ。変更手続きをしなければ、従来どおり現金などで受け取れるわけだしね。まずは自分が使っている証券会社の対応状況を確認してみよう。
— posted by サイト管理者 at 07:02 pm
上下画面分割
Sat 10 Jan’09
いよいよ、時代がやってきました!! 私のところに、武将時代が!! 今こそときの声を上げろ!!
というわけで、とうとうきゃんち、ハマってしまいました。戦国武将。ここ数年、戦国武将にハマる女子が多いというのは知っていて、武将達が出てくる対戦ゲームも遊んだりしていたんです。でも、武将を詳しく調べるぞ!というほどではなくて。そのきっかけは、ゲーム誌の取材で行った、コーエーさんでした。
そうです。コーエーです。もう分かりますよね?
コーエーといえば、「戦国無双」という日本の戦国時代を舞台にしたアクションゲームが有名です。
でも、私は「ガンダム無双」なら遊んだことがある、という程度で。それがどうして戦国武将にハマることになったのかというと。ある作品の取材をさせていただいて、それがきっかけだったんです。
学校の授業は苦手な私でも知っている「関ケ原の戦い」を舞台にした合戦アドベンチャー「采配のゆくえ」。
ゲーム誌の編集長が「この作品を取材するぞ!」とその采配をふるった時から、運命は動いていたのです(誰がうまいこと言えと……)。
「采配のゆくえ」の主人公は、西軍を率いる武将「石田三成」、そして東軍を統率する敵役は「徳川家康」。戦術を考えて、個性豊かな武将達に指示を出しながら、進めていくゲームです。
豊臣政権から徳川政権へ移り変わる大きないくさですよね。つまり、勝つのは家康。あれ、主人公負けちゃうんじゃん。このゲーム大丈夫なのかな。と不安になったんですが、先の読めないところがスリリングで楽しいですね。逆に徳川家が主人公じゃなくてよかった。
また、石田三成がね、かっこいいんですよ!ゲームをやるまでは名前も知らない武将だったんですが、忠義に厚く、頭がよくって、でもどこかヌケてるんです。「大一大万大吉」とかかれた旗を掲げ、その意味するところは「みんなが一人のため、一人がみんなのために」。
うわー、かっこいい!
というわけで、せっせとゲームをプレーするうちに、島左近や宇喜多秀家、大谷吉継などが登場します。石田三成と大谷吉継がね! もう! これ腐女子的にヤバいです。吉継が命をかけて、三成を守ろうとするところとか、たまらんです! あ、本当は三成じゃなくて、西軍のためになのかもしれないけど。
そして、天使のようで好みだった小早川秀秋があっさり裏切ったりしてね! 実際、関ケ原の戦いにおいて裏切りというのは何度かあったみたいです。奥が深いなぁ。
こうして、ゲームをクリアするころには、すっかり三成や武将達のとりこになっていました。もう三成に会えないなんて、嫌だ!
そんな気持ちから、日本の戦国時代を舞台にしたアクションゲーム「戦国無双」シリーズに手を出したのです。
戦国無双は好きなキャラクターを主人公として選べるので、もちろん三成!といきたいところですが、戦国無双のポイントの一つ。「声優が豪華」ここがまず肝心です。
真田幸村が草尾毅さん。スラムダンクの桜木花道などが有名ですね。織田信長が小杉十郎太さん。Zガンダムのヘンケンさんを始め、ものすごい良いお声で大好きです!明智光秀は緑川光さん! グリリバ!! 伊達政宗は我らが勇者王の檜山修之さん! などなど、とにかく紹介しようと思うとそれだけで1万字突破してしまいそうなくらい、人気声優目白押しです。
だけど、私はやっぱり三成です。妹も誘ったところ「檜山さんのキャラなら」ということで、伊達政宗でプレー。上下画面分割で、ストーリーに沿って戦場を駆け抜けます。
ザクザクザクザク……って、これはガンダム無双でした。とにかく、戦国無双は雑魚(ざこ)をけ散らす時の壮快感がたまらない! 三成の武器は扇なのでリーチは短いけど、無双攻撃では周囲の敵を一掃しちゃいます。
そうして歴史に興味を持った私に早速、難関が待ち構えていました。三成の事をもっと知りたいという気持ちから購入した歴史書で、肖像画を見てびっくり。こんなの私の知ってる三成じゃない!
ってまあ、そりゃそうだ。三成がどんなにステキだろうと、昔の殿ですからね。ギャップがあって当たり前。そりゃ大奥的なものもあるわけですよね。武将を好きになるっていうことは、その逆境を跳ね返すくらいの思いじゃないと! ゲームによってもキャラクターの違いはあります。現実と比べたらもっと違うはず。だけどノープロブレム。いくらでも脳内変換できますから!
既に私の頭の中では、タイムスリップしてしまった私が三成とお付き合いしちゃうという妄想が膨らんでいます。
実際、「戦国無双」をきっかけにして、歴史も知りたいと思うようになりました。まずは歴史小説の巨匠、司馬遼太郎の「関ケ原」から読んでみたいと思います!
というわけで、とうとうきゃんち、ハマってしまいました。戦国武将。ここ数年、戦国武将にハマる女子が多いというのは知っていて、武将達が出てくる対戦ゲームも遊んだりしていたんです。でも、武将を詳しく調べるぞ!というほどではなくて。そのきっかけは、ゲーム誌の取材で行った、コーエーさんでした。
そうです。コーエーです。もう分かりますよね?
コーエーといえば、「戦国無双」という日本の戦国時代を舞台にしたアクションゲームが有名です。
でも、私は「ガンダム無双」なら遊んだことがある、という程度で。それがどうして戦国武将にハマることになったのかというと。ある作品の取材をさせていただいて、それがきっかけだったんです。
学校の授業は苦手な私でも知っている「関ケ原の戦い」を舞台にした合戦アドベンチャー「采配のゆくえ」。
ゲーム誌の編集長が「この作品を取材するぞ!」とその采配をふるった時から、運命は動いていたのです(誰がうまいこと言えと……)。
「采配のゆくえ」の主人公は、西軍を率いる武将「石田三成」、そして東軍を統率する敵役は「徳川家康」。戦術を考えて、個性豊かな武将達に指示を出しながら、進めていくゲームです。
豊臣政権から徳川政権へ移り変わる大きないくさですよね。つまり、勝つのは家康。あれ、主人公負けちゃうんじゃん。このゲーム大丈夫なのかな。と不安になったんですが、先の読めないところがスリリングで楽しいですね。逆に徳川家が主人公じゃなくてよかった。
また、石田三成がね、かっこいいんですよ!ゲームをやるまでは名前も知らない武将だったんですが、忠義に厚く、頭がよくって、でもどこかヌケてるんです。「大一大万大吉」とかかれた旗を掲げ、その意味するところは「みんなが一人のため、一人がみんなのために」。
うわー、かっこいい!
というわけで、せっせとゲームをプレーするうちに、島左近や宇喜多秀家、大谷吉継などが登場します。石田三成と大谷吉継がね! もう! これ腐女子的にヤバいです。吉継が命をかけて、三成を守ろうとするところとか、たまらんです! あ、本当は三成じゃなくて、西軍のためになのかもしれないけど。
そして、天使のようで好みだった小早川秀秋があっさり裏切ったりしてね! 実際、関ケ原の戦いにおいて裏切りというのは何度かあったみたいです。奥が深いなぁ。
こうして、ゲームをクリアするころには、すっかり三成や武将達のとりこになっていました。もう三成に会えないなんて、嫌だ!
そんな気持ちから、日本の戦国時代を舞台にしたアクションゲーム「戦国無双」シリーズに手を出したのです。
戦国無双は好きなキャラクターを主人公として選べるので、もちろん三成!といきたいところですが、戦国無双のポイントの一つ。「声優が豪華」ここがまず肝心です。
真田幸村が草尾毅さん。スラムダンクの桜木花道などが有名ですね。織田信長が小杉十郎太さん。Zガンダムのヘンケンさんを始め、ものすごい良いお声で大好きです!明智光秀は緑川光さん! グリリバ!! 伊達政宗は我らが勇者王の檜山修之さん! などなど、とにかく紹介しようと思うとそれだけで1万字突破してしまいそうなくらい、人気声優目白押しです。
だけど、私はやっぱり三成です。妹も誘ったところ「檜山さんのキャラなら」ということで、伊達政宗でプレー。上下画面分割で、ストーリーに沿って戦場を駆け抜けます。
ザクザクザクザク……って、これはガンダム無双でした。とにかく、戦国無双は雑魚(ざこ)をけ散らす時の壮快感がたまらない! 三成の武器は扇なのでリーチは短いけど、無双攻撃では周囲の敵を一掃しちゃいます。
そうして歴史に興味を持った私に早速、難関が待ち構えていました。三成の事をもっと知りたいという気持ちから購入した歴史書で、肖像画を見てびっくり。こんなの私の知ってる三成じゃない!
ってまあ、そりゃそうだ。三成がどんなにステキだろうと、昔の殿ですからね。ギャップがあって当たり前。そりゃ大奥的なものもあるわけですよね。武将を好きになるっていうことは、その逆境を跳ね返すくらいの思いじゃないと! ゲームによってもキャラクターの違いはあります。現実と比べたらもっと違うはず。だけどノープロブレム。いくらでも脳内変換できますから!
既に私の頭の中では、タイムスリップしてしまった私が三成とお付き合いしちゃうという妄想が膨らんでいます。
実際、「戦国無双」をきっかけにして、歴史も知りたいと思うようになりました。まずは歴史小説の巨匠、司馬遼太郎の「関ケ原」から読んでみたいと思います!
— posted by サイト管理者 at 02:38 pm
城中の糧食が尽きるのを待って
Sat 27 Dec’08
鳥巣では、3月10日に薩軍がこの地の守備を始めてから4月15日に撤退するまでの間、官軍との間に熾烈な争いが繰り広げられた。まず3月30日の明け方に近衛鎮台の2隊が二手に分かれて隈府に攻め入ってきた。始めは人数不足で不利な状況だった薩軍であったが、そのうち伊東隊による応援もあり、どうにか官軍を敗退させることができた。
4月5日、第三旅団(三浦梧楼少将)は鳥巣に攻撃をしかけ、薩軍の平野隊と神宮司隊が守備している真ん中に攻め入った。虚をつかれた両隊はたちまち敗走した。これを聞いた薩軍の野村忍介は植木にいた隊を引き連れて鳥巣に向かい、挽回しようと奮戦するが、結局、この日一日では決着はつかず、4月7日に官軍がこの地に一旦見切りをつけ、古閑を先に攻略しようとしたことにより、一時的に休戦状態になった。一方古閑では、平野隊・重久隊の必死の抗戦により官軍はやむなく撤退してしまった。
薩軍は勇戦し、4月9日、再び隈府に攻め入った官軍を撃退したが、弾丸・武器の不足によりこれ以上の戦闘を不可能と考え、赤星坂へ撤退した。4月10日から4月13日にかけて官軍による鳥巣の再攻略が始まり、薩軍もこれに対して勇ましく応戦したが、いよいよ武器がつきてしまったうえに、鳥巣撤退命令が下されため、この地をあとに大津に向かった。
[編集] 薩軍の長囲策の破綻と官軍衝背軍の上陸
薩軍の主力が北部戦線に移った後も熊本城の長囲は続けられていたが、官軍衝背軍の上陸と熊本鎮台との連絡がついたことから長囲策は破綻し、戦線は熊本城の南部東部に移った。此の地でおこなわれた、いわゆる城東会戦の帰趨は、田原の敗戦にも劣らない打撃を薩軍に与えることになった。
[編集] 熊本城長囲
城中の糧食が尽きるのを待って陥落させるという長囲策を採る薩軍が対砲戦を主としたので、守城側はそれに苦しんだ。3月12日、段山をめぐる両軍の争奪戦が起こった。この争奪戦は13日まで続いた。霧の中、砲撃・銃撃を混じえた激戦は、霧が晴れたときには双方の距離10数歩という接近戦であった。結局、段山の背後に出た鎮台側が薩軍を敗走させた。この戦いは官軍死傷者221名、薩軍死者73名捕虜4名という長囲戦最大の激戦であった。
薩軍主力が北方に転戦したため鎮台の守城負担は幾分減ったとはいえ、開戦前の出火で失った糧食の補充が充分でないため糧食不足に苦しみ、極力消費を抑えることで凌いでいた。池上率いる長囲軍は当初、21箇小隊・1個砲隊、計4,700名近くもいたが、長囲策が採られると16箇小隊・2箇砲隊に減少し、3月になって高瀬・山鹿・田原・植木等の北部戦線が激戦化するにつれ、増援部隊を激戦地に派遣してさらに減少した。そのために長囲軍は寡少の兵で巨大な熊本城を全面包囲することに苦しんだ。一方、鎮台側はこの機に乗じ、時々少量の糧食を城中に運び入れた。
長囲軍が減少した薩軍は、桐野が熊本隊の建策を入れて、3月26日、石塘堰止を実行し、坪井川・井芹川の水を城の周囲に引き込んだ。これによって熊本城の東北および西部の田畑は一大湖水に変じた。この策によって薩軍は城の東北及び西部を守る兵を数百名節約できたのであるが、鎮台にとっては城の西部を守る兵が節約できたので、さらに好都合であった。
[編集] 鎮台兵の出撃
熊本鎮台の城外出撃は薩軍主力が北部戦線に移動した2月27日から始まった。この日、大迫尚敏大尉率いる偵察隊は坪井方面の威力偵察に出撃した。3月26日、植木方面で銃声を聞くが征討軍が現れないので、後方攪乱部隊を3隊に分け、京町口・井芹村・本妙寺に出撃させた。これらの部隊は一時薩軍を走らせたものの、逆襲にあい、撤退した。
籠城が40日にもなり、糧食・弾薬が欠乏してきた鎮台は余力があるうちに征討軍との連絡を開こうとして、南方の川尻方面に出撃することにした。隊を奥保鞏少佐率いる突囲隊、小川大尉率いる侵襲隊、及び予備隊の3つに分け、4月8日に出撃した。侵襲隊が安巳橋を急襲し、戦っている間に突囲隊は前進し、水前寺・中牟田・健軍・隈庄を経て宇土の衝背軍と連絡した。一方、侵襲隊は薩軍の混乱に乗じて九品寺にある米720俵・小銃100挺などを奪って引き揚げた。
参照してください。
4月5日、第三旅団(三浦梧楼少将)は鳥巣に攻撃をしかけ、薩軍の平野隊と神宮司隊が守備している真ん中に攻め入った。虚をつかれた両隊はたちまち敗走した。これを聞いた薩軍の野村忍介は植木にいた隊を引き連れて鳥巣に向かい、挽回しようと奮戦するが、結局、この日一日では決着はつかず、4月7日に官軍がこの地に一旦見切りをつけ、古閑を先に攻略しようとしたことにより、一時的に休戦状態になった。一方古閑では、平野隊・重久隊の必死の抗戦により官軍はやむなく撤退してしまった。
薩軍は勇戦し、4月9日、再び隈府に攻め入った官軍を撃退したが、弾丸・武器の不足によりこれ以上の戦闘を不可能と考え、赤星坂へ撤退した。4月10日から4月13日にかけて官軍による鳥巣の再攻略が始まり、薩軍もこれに対して勇ましく応戦したが、いよいよ武器がつきてしまったうえに、鳥巣撤退命令が下されため、この地をあとに大津に向かった。
[編集] 薩軍の長囲策の破綻と官軍衝背軍の上陸
薩軍の主力が北部戦線に移った後も熊本城の長囲は続けられていたが、官軍衝背軍の上陸と熊本鎮台との連絡がついたことから長囲策は破綻し、戦線は熊本城の南部東部に移った。此の地でおこなわれた、いわゆる城東会戦の帰趨は、田原の敗戦にも劣らない打撃を薩軍に与えることになった。
[編集] 熊本城長囲
城中の糧食が尽きるのを待って陥落させるという長囲策を採る薩軍が対砲戦を主としたので、守城側はそれに苦しんだ。3月12日、段山をめぐる両軍の争奪戦が起こった。この争奪戦は13日まで続いた。霧の中、砲撃・銃撃を混じえた激戦は、霧が晴れたときには双方の距離10数歩という接近戦であった。結局、段山の背後に出た鎮台側が薩軍を敗走させた。この戦いは官軍死傷者221名、薩軍死者73名捕虜4名という長囲戦最大の激戦であった。
薩軍主力が北方に転戦したため鎮台の守城負担は幾分減ったとはいえ、開戦前の出火で失った糧食の補充が充分でないため糧食不足に苦しみ、極力消費を抑えることで凌いでいた。池上率いる長囲軍は当初、21箇小隊・1個砲隊、計4,700名近くもいたが、長囲策が採られると16箇小隊・2箇砲隊に減少し、3月になって高瀬・山鹿・田原・植木等の北部戦線が激戦化するにつれ、増援部隊を激戦地に派遣してさらに減少した。そのために長囲軍は寡少の兵で巨大な熊本城を全面包囲することに苦しんだ。一方、鎮台側はこの機に乗じ、時々少量の糧食を城中に運び入れた。
長囲軍が減少した薩軍は、桐野が熊本隊の建策を入れて、3月26日、石塘堰止を実行し、坪井川・井芹川の水を城の周囲に引き込んだ。これによって熊本城の東北および西部の田畑は一大湖水に変じた。この策によって薩軍は城の東北及び西部を守る兵を数百名節約できたのであるが、鎮台にとっては城の西部を守る兵が節約できたので、さらに好都合であった。
[編集] 鎮台兵の出撃
熊本鎮台の城外出撃は薩軍主力が北部戦線に移動した2月27日から始まった。この日、大迫尚敏大尉率いる偵察隊は坪井方面の威力偵察に出撃した。3月26日、植木方面で銃声を聞くが征討軍が現れないので、後方攪乱部隊を3隊に分け、京町口・井芹村・本妙寺に出撃させた。これらの部隊は一時薩軍を走らせたものの、逆襲にあい、撤退した。
籠城が40日にもなり、糧食・弾薬が欠乏してきた鎮台は余力があるうちに征討軍との連絡を開こうとして、南方の川尻方面に出撃することにした。隊を奥保鞏少佐率いる突囲隊、小川大尉率いる侵襲隊、及び予備隊の3つに分け、4月8日に出撃した。侵襲隊が安巳橋を急襲し、戦っている間に突囲隊は前進し、水前寺・中牟田・健軍・隈庄を経て宇土の衝背軍と連絡した。一方、侵襲隊は薩軍の混乱に乗じて九品寺にある米720俵・小銃100挺などを奪って引き揚げた。
参照してください。
— posted by サイト管理者 at 05:47 pm
豚の食用が始まっており
Sat 13 Dec’08
ソーセージはこういった伝統を受け継ぐ。
昔は灯りや食用にするためにラードを採取する目的で飼育されていたが、現在ではその反動か、脂身の少ない肉が好まれているようだ。(朝日新聞『be』日曜版より)
[編集] アジア
東アジアでも中国の新石器時代から豚は家畜化されていた。中国南部を発祥地とするオーストロネシア語族は南太平洋にまで豚を連れて行く。満州人の先祖である勿吉人、靺褐人は寒冷な満州の森林地帯に住んでいるので、豚を盛んに飼育し、極寒時には豚の脂肪を体に塗って寒さを防いでいた。豚は中国でもよく食べられ、中華料理のメイン・メニューとなっている。中国語で単に肉といえば豚肉を指すほどで、牛肉はそれほど好まれなかった(ウシが農耕用に使われたためという社会的な理由も存在する)。
[編集] 日本
日本でも弥生時代にはすでに豚の食用が始まっており骨も遺跡から出土している(ただし、野生のイノシシを捕らえたものか飼育されていた豚かはよくわかっていない)。「ブタ」という言葉の起源も分かっていない。古墳時代の遺跡からも豚の骨は出土している。『日本書紀』、『万葉集』(萬葉集)、『古事記』に猪飼、猪甘、猪養という言葉があり中国では猪は豚の意味であり豚が飼われていた。奈良時代に仏教が国教化したことによって、豚の飼育も途絶えてしまった。ただイノシシが採れる山間部では猪肉がぼたん鍋と称してわずかに食べられることもあった。
沖縄県では、古来からブタの飼育や食用とする事が行われており、1385年に渡来したという黒豚のアーグ(アグーとも。島豚、シマウヮー)が有名で、現在の沖縄料理では最も重要な食材となっている。しかし17世紀以前は牛肉がその座を占めていたが、羽地朝秀の改革によりウシの食用が禁止され、その後冊封使節団を接待するため王府によりブタの大量生産が奨励された事なども相まって、牛肉に代わる存在となっていった。
また、薩摩地方でも豚を飼って食べており、佐藤信淵著『経済要録』(1827年)には薩摩藩江戸邸で豚を飼って豚肉を売っていたと記録されている。江戸幕府最後の征夷大将軍徳川慶喜は父徳川斉昭が島津斉彬から豚肉を送られていた(1845年5月2日(6月6日)の書簡)ためか、豚肉を好んで食べたので豚一様(豚好きの一橋様)と呼ばれた。新選組も西本願寺駐屯時に松本良順のすすめで神戸から子豚を持ち込み養豚していた。解体は木屋町の医者南部精一の弟子に頼んでいた。
明治維新以後、豚も再び飼われるようになった。特に関東大震災後に関東地方で養豚ブームとなり供給量が増え安価になった。なお島豚は1902年にバークシャー種、ハンプシャー種が入り純粋種はなくなったが名護市や奄美大島などで復元されている。
[編集] 品種
主な品種(breeds)に大ヨークシャー種、高座豚に代表される中ヨークシャー種、ランドレース種、デュロック種、黒豚に代表されるバークシャー種、ハンプシャー種などがある。近年では、これらの品種の二つか三つ(三元交配)を掛け合わて肉豚を生産することが多い、肉質の良い品種、子豚を多く生む品種を使いハイブリッド豚も造られている。黒豚は肉が特に美味いとされるが、小柄で肥育に日数を要するので、純粋な黒豚を肉用に肥育することは少ない。なお、日本においては「黒豚」と表示して販売できるのはバークシャー純粋種のみとされている[1]。
ブタとイノシシは生物分類学上同じ種(species)である。実際相互に交配可能であり、生まれてくる仔はイノブタといわれる。
ブタの品種については
昔は灯りや食用にするためにラードを採取する目的で飼育されていたが、現在ではその反動か、脂身の少ない肉が好まれているようだ。(朝日新聞『be』日曜版より)
[編集] アジア
東アジアでも中国の新石器時代から豚は家畜化されていた。中国南部を発祥地とするオーストロネシア語族は南太平洋にまで豚を連れて行く。満州人の先祖である勿吉人、靺褐人は寒冷な満州の森林地帯に住んでいるので、豚を盛んに飼育し、極寒時には豚の脂肪を体に塗って寒さを防いでいた。豚は中国でもよく食べられ、中華料理のメイン・メニューとなっている。中国語で単に肉といえば豚肉を指すほどで、牛肉はそれほど好まれなかった(ウシが農耕用に使われたためという社会的な理由も存在する)。
[編集] 日本
日本でも弥生時代にはすでに豚の食用が始まっており骨も遺跡から出土している(ただし、野生のイノシシを捕らえたものか飼育されていた豚かはよくわかっていない)。「ブタ」という言葉の起源も分かっていない。古墳時代の遺跡からも豚の骨は出土している。『日本書紀』、『万葉集』(萬葉集)、『古事記』に猪飼、猪甘、猪養という言葉があり中国では猪は豚の意味であり豚が飼われていた。奈良時代に仏教が国教化したことによって、豚の飼育も途絶えてしまった。ただイノシシが採れる山間部では猪肉がぼたん鍋と称してわずかに食べられることもあった。
沖縄県では、古来からブタの飼育や食用とする事が行われており、1385年に渡来したという黒豚のアーグ(アグーとも。島豚、シマウヮー)が有名で、現在の沖縄料理では最も重要な食材となっている。しかし17世紀以前は牛肉がその座を占めていたが、羽地朝秀の改革によりウシの食用が禁止され、その後冊封使節団を接待するため王府によりブタの大量生産が奨励された事なども相まって、牛肉に代わる存在となっていった。
また、薩摩地方でも豚を飼って食べており、佐藤信淵著『経済要録』(1827年)には薩摩藩江戸邸で豚を飼って豚肉を売っていたと記録されている。江戸幕府最後の征夷大将軍徳川慶喜は父徳川斉昭が島津斉彬から豚肉を送られていた(1845年5月2日(6月6日)の書簡)ためか、豚肉を好んで食べたので豚一様(豚好きの一橋様)と呼ばれた。新選組も西本願寺駐屯時に松本良順のすすめで神戸から子豚を持ち込み養豚していた。解体は木屋町の医者南部精一の弟子に頼んでいた。
明治維新以後、豚も再び飼われるようになった。特に関東大震災後に関東地方で養豚ブームとなり供給量が増え安価になった。なお島豚は1902年にバークシャー種、ハンプシャー種が入り純粋種はなくなったが名護市や奄美大島などで復元されている。
[編集] 品種
主な品種(breeds)に大ヨークシャー種、高座豚に代表される中ヨークシャー種、ランドレース種、デュロック種、黒豚に代表されるバークシャー種、ハンプシャー種などがある。近年では、これらの品種の二つか三つ(三元交配)を掛け合わて肉豚を生産することが多い、肉質の良い品種、子豚を多く生む品種を使いハイブリッド豚も造られている。黒豚は肉が特に美味いとされるが、小柄で肥育に日数を要するので、純粋な黒豚を肉用に肥育することは少ない。なお、日本においては「黒豚」と表示して販売できるのはバークシャー純粋種のみとされている[1]。
ブタとイノシシは生物分類学上同じ種(species)である。実際相互に交配可能であり、生まれてくる仔はイノブタといわれる。
ブタの品種については
— posted by サイト管理者 at 12:14 pm














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